信仰―法話コーナー


法話

■オアシスの心2002年2月の法話

 私たち人間は、生まれてから今まで一人で生きてきたという人は一人もいないはずです。大家族であろうが、小家族であろうが必ず自分以外の誰かがいて、またいる事によって一つの集まりが出来て、その集まりが社会になります。社会や集まりが出来るとそこには必ずルールと言う物が生まれます。ルールが出来なければ社会その物を作る事が出来なくなります。そんな事あたり前な事と、言われればその通りですが、それを守れない人がいます。そう言う私もルールを守れない一人です。ある時、急用が有り信号の有る交差点に来た時、信号が黄色に変わりました。頭の中では「黄色は止まれ。」と分かっているのに「急いでいるから渡ってしまえ」と渡った事が一度となく有ります。とかく私たちは、この位だったらいいだろうと小さなルールを守らない事が多いのではないのでしょうか。特に大人になればなるほどそう言う事が多くなるのではないでしょうか。小さな子どもに「こんな事はしてはいけませんよ」と言えば子どもは簡単に守れても、大人の場合、人に迷惑かけていないし、見てないからいいや、という事がありませんか。
 先日、あるお寺にお参りしていたら、そこの方が廊下を清掃されていました。私がお参りをしているとその横に男性の方が来られ、賽銭をうたれました。が運悪くその賽銭が箱に入らず出てしまいました。その方がその賽銭を箱に入れようと思い、土足のままで廊下に上がってその賽銭を箱に入れられました。その時、清掃している方が「すみませんこちらは土足で上がらないでください」と言われたら、その言われた方が「いや賽銭が入らなかったので」と言われました。確かにどちらの方が言われる事も分かりますが、しかし、私が思うのに男性の方は一言「すみません」と付けるべきだと思いました。その方は見た所六十歳を越えてらっしゃった様に見えました。この方も今まで色々と人生経験されて生きて来られたと思います。失礼な言い方かもしれませんが、年を取ると分かっていてもなかなか「すみません」と言い出しにくいのかもしれません。でも、これからどんどん高齢化して行く社会。今以上私達が助け合っていかなければならない世の中になるので、素直にあいさつが出来る様にならないといけないのではないのでしょうか。子どもの頃よく学校で「オアシスの心」と言って実行する様にしていました。これは学校生活だけでなく社会生活の中でも必要です。これが出来れば小さなルールが守れ、やがて全てのルールが守れ、いい社会が出来るのではないのでしょうか。


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