信仰―法話コーナー


法話

■三階だけが欲しい2002年1月の法話

 愚かな金持ちがいた。古代インドの話である。『百喩経』という経典に出てくる。
 金持ちではあるが愚かな男が、他国に旅をして、その国の金持ちの家に招待された。その金持ちの家はたいそうりっぱで三階建てで、最上階から眺めた風景はとてもすばらしいものであった。愚かな金持ちの国では、三階建てどころか二階建ての家もない。したがって三階建ての家はまさに高層建築、東京タワーのようなものであった。愚かな金持ちは、すっかり三階建てに魅せられてしまった。 帰国してすぐに、彼は大工を呼んで、三階建ての家が作れるかと尋ねた。「作れる」という返事に、愚かな金持ちは「さっそく作ってくれ」と発注した。
 金持ちは毎日、建築現場を見に行く。そして、大工に、「まだか、まだか」と問う。大工は、この辺にはない高層建築だから、いましっかりと基礎固めをしていますと答えた。
 そして、ようやく建物の建築が始まった。金持ちはそわそわして待っている。でも、なかなか出来ない。大工に尋ねると、
「まだまだですよ。いま一階を作っているところです。」
 という返事。そして、それからしばらくして金持ちが訊くと、大工は今度は、「もう少しかかりますよ。いま二階を作っているところです。」
 と答えた。それで、愚かな金持ちは怒りだした。「けしからんではないか?! わたしは三階を作ってくれと言ったのだ。一階や二階なんていらない。早く三階を作ってくれ!」
 まあ、なんと馬鹿げた話である。本当に愚かな男もいるものだ。
 だが、わたしたちは、これを笑っていられるであろうか。愚かな人間は努め励むことをしらないで、ただ・良い結果だけを求めようとする―と、それが『宙喩経』の教訓であるが、わたしたちもこの愚かな人間と同じことをしていないか。
 最近、御祈祷をしていて思うことだが、受験合格の祈願で、ただ、希望する学校にさえ合格すればよい。いままでのことはどうでもよいから、よい結果だけが欲しい。又、良繚の祈願で、適当な年齢になったから、できるだけ自分に都合のよい相手が見つかり、楽をして生活したい。などと、よい結末だけを求めている人が、非常に多いように見受けられる。実に、現代を象徴している情けない姿だと思う。
 たとえば、子どもが失敗する。いや、わたくしたち自身が失敗する。その失敗は建物の一階や二階であるべきはずであるが、わたしたちはそのように見ているだろうか。失敗はいらない。ただ三階という成功や結果だけが欲しいというのであれば、愚かな金持ちを笑えないであろう。


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