信仰―法話コーナー


法話

■「世間」2001年11月の法話

 「渡る世間に鬼はなし」「世間を騒がす」「世間体が悪い」などと用いられている世間という言葉はサンスクリット語「ローカ」の訳である。仏教では、世間に二種があるとされている。すなわち一つは空、海、大地、山、川など我々をとりまいている自然環境のことであり「器世間」といわれる。我々がその中で生きている“うつわ”としての世間という意味である。もう一つは、その器の中に生命を持っているもの、生きとし生けるものを指して「有情世間」又は「衆生世間」と呼ばれる。それが今では人間及び人間社会のみを意味するものとして用いられている。
 有情世間の一人間が知の働きでもって器・有情世間に関する知識(例えば世界とは、人間とは何かという事)を得る。これが世間知つまり世知なのである。ところが世間の意味が人間社会の範囲に限られてくるにしたがい、世知も俗世間に関する知恵のようなものとして解され、処世術(世間の人とうまく付き合いながら生活していくこと)の一つとして用いられている。世渡りの術である。その世渡りもなかなか難しいものである。そこで、『世知辛い世の中だ』ということになる。
 世知辛い世の中で、自分の人間としての本来の生き方を見失い、あえぎ、苦しんでいる人間に、人間の本当の生き方と最高の幸福を教え導くために仏様が世に出現されたのである。これを出世という。俗世間の知恵に生きていたのでは同じことの繰り返しである。
 仏の教える道は俗世間を超え出ることである。悟りは世間を超越した知恵によって得られるのである。仏の知は出世間知といい、俗世間を越え出て出世間を求める仏修行の中で修行の段階をおって、後世階級が与えられたため、再び俗世間的に立身し、有名人になるという立身出世の意味に解されたと思われる。よって、世に出ることと高い地位を得ることの意になってしまったのである。
 「世知辛い世の中だ」とボヤキ、かなしむ前に、少し御自身の“世知”に誤りがないかという事を顧みて、反省してみることが大事だと思われる。


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