信仰―法話コーナー


法話

■ほとけさまからお預かりしている 2001年8月の法話

 目の不自由な子供をへんな親に預けると、不幸にされます。だから、ほとけさまは、どの親に預ければいいか選んで預けられるのです。それを親がつい「この子の目が・・・」と思ってしまう。その心が子供に伝わってしまうかもしれないのです。きっと、その子は心のなかで叫んでいるでしょう。「お父さん、お母さん、このぼくをそのまま受け容れてよ。目が不自由だけど、このままで受け容れてよ。」と。

 勉強が嫌いな子に、「もうちょっと、成績がよければいいのにね。」というのは残酷です。「ちがうんだよ。お父さん、お母さん、ぼくをこのまま受け容れてよ。このまま幸せにしてよ。」と頼んでいます。その子供の叫び声が開こえていないのです。

 そういう子供たち、いまの日本の子供たちはかわいそうです。学校でいじめがあるなんて、もうすでに親が子供をいじめているのです。成績さえよければいい、みんなそんな物差しだけしか持っていないのではないでしようか。だから、わたしたちがもう一度ほとけさまからお預かりしているということに気がつかないといけません。子育ては原点に帰るべきです。それが布施の心です。学校の成績がいい者が幸せになれるのだったら、世の中10パーセントぐらいの人しか幸せではありません。あとの人は、上位に入っていないからといって幸せになれない。そんな世の中をつくってはいけません。

 わたしたちの子供は、みんなほとけさまから、お預かりしているものです。同様にわたしたちのこの肉体も、わたし自身もほとけさまからのお預かりものだ、ということに気がついてほしいと思います。わたしたちは、自分は自分のものだと思っていますが、そうではありません。それが無我ということの思想です。仏教では我がありません。わたしたちがあるのは当たり前ですが、にもかかわらず無我といっているのは、ほとけさまからお預かりしているものだということです。そういうふうに埋解していただきたいと思います。



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