信仰―法話コーナー


法話

“清らかな業”を積む努力 2001年4月の法話

 
私たちには過去というものがあり、その過去世が現在世をつくり、現在世が未来世をつくる、これを「三世業報善悪因果」といいます。

 こういう過去・現在・未来という三世にわたる業報善悪因果のなかで人生を生きているわれわれですが、このごろはたいへん忙しくなってきて、十分、二十分の短い時間ですら待てない。さらに電車を十分待つ間もいらいらしている。そして一分でも早く電車に乗ろうとして、三分間をも待ち切れずにいらいらして待っている人がいます。待つということを忘れた私たちの人生ですが、待つという心がこれからの私たちの人生にとって、たいへん大事なことなのです。三世という長い時間のうえにたって待つということが今日の私たちの生き方というものを教えています。この待つということは縁を生み出すたいせつな時間なのです。「縁があったらまた会おう」と言うけれども、縁は寝て待つのではない、自らの努力によって作り出すのだということです。自分の努力で、そして足で体でもってきてもらわないことには、会うわけにはいきません。縁をもって教えの基本を立てている仏教というのは努力主義の教えであります。

 美しい人生を送るためには、お互にいつかは散っていかねばならないわれわれが、日常生活のなかに”清らかな業”を積みかさねていくように努力しなければなりません。死に際にお経をあげてもらうだけで成仏できるものではありません。お盆になったらお寺へお参りして「回向」というのをしてもらいます。あの回向というのは”振り向ける”ということであります。われわれがそうであるように、やはりご先祖様も、為し足らないままで、業を果たさないままに亡くなっておられます。そのご先祖様に代わって、私たちがよいことをさせてもらうのです。そしてよいことをした自分の善業でもって、それをご先祖様に振り向けていった時に、ご先祖様の足らないところが補われて、ご先祖様にいいところに生まれかわっていただこうということ。これが「ご回向」です。「追福作善」ともいいます。

 そういうように、ご先祖様に向かってご回向している親の姿が、やがて子供や孫の心の中に回向の心というものを育てていくのです。このように皆様にも清らかな業を積む努力をしていただきたいと思います。




法話のトップに戻る


閉じる 

NMJNet Market Japan Corp.