信仰―法話コーナー


法話

■子どもの眼の高さ 2001年3月の法話

 他人を救うために仏教者のなすべき実践の一つに、「同事行」がある。これは文字通り相手と同じ事を行なうことである。水に溺れている人を救うには、自分もまた水に飛び込まねばならない。陸でわいわい言っていても溺れた人は救えない。
 同事業とは、相手の立場に立つこと。思いやりだといってもよい。
 玩具店に来た母と子があれこれおもちゃを選んでいる。母親は子に、「これはどう…?」と、よさそうなおもちゃを見せるが、子どもはなかなか首をたてに振らない。 しびれを切らした母親は、「じやあ、早く、自分で選びなさい。」と言う。そのとき、子どもは、
「だって、ぼくには見えないんだもの・・・」と答えた。そのことばで、玩具店の主人は気がついた。自分が大人の眼の高さで、大人本位の ディスプレー(陳列)をしていたことを。子どもの背丈では、高い棚の商品は見えない。しかもその高い所に、子どもの一番欲しがる高級品を並べていたのであった。
 そこで店主は、お店を改造した。
 自分がしゃがんで見て、子どもの眼の位置に自分の眼を置いて、商品のディスプレーをやりかえた。
 その結果は大成功、売り上げが二倍も三倍も伸びたそうだ。
 本当に初歩的なことだが、買う立場になってする商売が、商売の原点だということを、店主は、子どものことばから学んだのである。
 もっとも、この話には落ちがある。
 この話を聞いた別の玩具店の主人が、早速自分の店を同じように改造した。ところが、その店では、逆に売り上げが落ちたという。
 なぜか…?後者の店は、駅前にあった。したがって、その玩具店で買うのは主として大人たちである。父親や知人の家を訪ねる訪問者が、駅前の店で子どもたちのために玩具を買って行く。したがって、ディスプレーは大人向きでよかったのだ。
 ある職場での話だが、「職場の若い仲間たちが思うように働いてくれない。リーダーとしてやっていくのは荷が重すぎる。」と、ベテラン女性がいう。彼女は責任感が強く、何でも完璧にやろうとするため、気があせって、強い態度で若い仲間を責めたり、大声で怒鳴ってしまう。結果、仕事がなかなかうまく進まない。
 こんな女性は、まず、自分をゼロにし、相手の眼線と同じところに合わすところから出発だ。いや、もっと低い所からの出発だ。自分の面目を丸潰れにして自らを厳しく見つめ直すことが大切なことだ。どうしても思い通りにならない相手と対するとき、その相手のほうに今日こそ鍛えてもらおうと頭を下げることだ。謙虚になって相手に鍛えてもらうのである。
 同事行という仏道修行の話が、 商売や職場の話 になってしまっ たが、これらの話は、相手の立場に身を置くことのむずかしさ を教えてくれて いる。相手を救うつもりが、大きなお世話になることもある。心したいものだ。



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