信仰―法話コーナー

法話

  かんどう
■乾堂和尚と一粒の米 
2000.3.1

 九州は豊後の国佐伯の養賢寺に、乾堂和尚という徳の高い禅僧がいた。徳川末期の頃である。養賢寺はその当時毛利家の菩提寺であったが、その家老に土倉某という人がいてすこぶる心得が悪く、藩公の目をぬすんで贅沢をし、一般の庶民たちは難儀をしていた。和尚は人民が苦しんでいるのを見ていることができず、土倉氏のわがままな性質に、気の毒な人だと思い再三直接に忠告をした。しかし土倉氏は和尚の言う事を聞くだけ聞いて坊主のくせに生意気だとでも思ったのか、忠告の度に反感を抱き、和尚の落ち度を探って城下から追放したいと思うようになった。学徳ともに高く品行の正しい知識人であるので、なかなか落ち度が見つからない。ところが運の悪いことに和尚について悪い噂が誰からともなく起こった。

 乾堂和尚は聖人のような僧侶と思われているが戒行の低いニセ坊主で毎晩人が寝静まるのを見計らつて自分の部屋で山海の珍味を味わい、酒食におぼれていると、いう噂である。土倉氏はこの噂を聞くと鬼の首でも取ったように喜び、ある夜寺に忍び込んで様子を伺うと、噂の如く和尚は舌鼓を打っている様子である。

 その翌朝、家老は早速登城して藩主毛利高泰公に、和尚のあるまじき行為を申し上げ即刻ご処断されるように申して退出した。それで藩公は調べてみる決心をし、ある夜、人々が寝につくのを見計らって屋敷を出、和尚の庭に忍び込んだ。和尚の居間の辺りで様子をうかがうと家老の言葉の如く何か食べているような匂いが漂ってくる。藩公は意を決し、一刻もこのまま放置することはできないと雨戸を押し開けて飛び込んだ。和尚は不意に珍客を迎えたので、土鍋にフタをして隣室に隠し、襖を締め、衣を正して、
「この真夜中の御光来、ご急用は何事でござりましょうか。ご急用のこととて室内も取り乱しておりご無礼のほどお許しを願いとうございます。」

 と、声も乱さず藩公に申し出た。藩公は和尚が酒肉に心を乱していると思い込んでいるので和尚の言葉もろくに耳には入らない。
「隣の部屋に隠されたのは何でござるか。今となってはいかほど隠されても容赦は相なりませぬ。」
と、厳しい口調である。和尚は殿様のお目にかけたくないから、このままお見逃し願いたいと頭を下げてわびを入れるが、殿様は返って不審を増すばかりで聞き入れない。和尚はもはや、白状するより方法がないと土鍋を隣室から持って来て、
「当寺には諸国から多くの僧侶が集まって修行しております。それらの僧に対し、水一滴、野菜一葉も粗末にするな。米一粒も大切にせよ。信施を粗末にすると冥加が尽きると入って禅僧の心得をいい聞かせておることでございますが、人数は多く若い年頃にて思うようになりませんぬ。台所の流しには米粒や野菜の切れ端などが流されたりしております。これは仏罰が当たると思い台所場の外口に笊をかけ、毎夜皆が寝た後、それを水で洗い塩をまぶし雑炊を作り夕食の代わりに頂く次第でごぎいます。」
と申し述べた。藩公は自分の軽々しい行動をいたく後悔し、
「方丈様、たとえ一時でも方丈様のご心行をお疑い申し上げ、誠に申し訳ないことを致しました。米一粒、野菜一葉も大切にせねばならぬというご教訓、毛利家の家宝として護持致したいと思います。何とぞ先程からの無礼の程はお許しくだされたい。」
と言って静かに両手を合わせて合掌礼拝した。

 一粒の米の重きこと須弥山の如しとは、先人の垂示であるが、乾堂和尚は誠に物の命を大切にされた模範的憎侶というべきである。日本人の一人ひとりに和尚のこの心があったなら、国運は開けて隣人との付き合いももっと良くなるのではないだろうか。




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