信仰―法話コーナー


法話

■われわれは現実を生きるのだ 2000.2.1

江戸時代の日本の禅僧の大愚良寛(1758〜1831)というより良寛さんと呼んだほうがよさそうです。子どもたちと手毬をついて遊んだ禅僧です。

良寛は文政11(1828)年11月12日、越後の三条を中心に大地震が起きたとき、友人にみずからの無事を報じた書信を出して、その最後にこう書いています。(しかし、災難に逢時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候)

虫がクモの巣に引っかかります。虫がもがけばもがくほど、かえって苦しくなるのです。どうせ逃れることのできない災難に遭えば、逃れられないとあきらめて(この場合の“あきらめ”は“明らめ”です。真実を明らかにすることです。)、じっとしている。そのほうが楽だと思います。

いや、これは、口では簡単に言えますが、実際にはなかなかむずかしい。わたしたちは災難に遭えば、ついじたばたしてしまいます。そして、よけいに苦しくなります。

でもね、ある経営者が言っていました。彼は自分の会社を倒産させたのですが、経営困難になったときがいちばん苦しかったそうです。なんとかして会社を立て直そうとして、東奔西走の毎日。気苦労やら何やらで、血尿が出たそうです。

「しかし、結局は倒産です。でも、倒産したあと、本当にぐっすり眠れました。気は楽になったのです。あんなに心労を重ねたのが馬鹿みたいに思われました。なにも、あんなに苦労することはなかったのに…というのが、倒産後の心境です。不思議ですね。」

そうなんです。わたしたちはじたばたする必要はありません。かといって、のんびり昼寝をしておれ、というのでもありません。会社を立て直す努力はする必要があります。しかし、その努力はゆったりとした努力です。中道の努力なんです。

もう一つ、こんな話も耳にしました。

ある方が、左遷されました。「その左遷先で、楽しくて楽しくてたまらないような顔をして、毎日、明るくやっています。一種の窓際族だから、普通の人間なら退職するところですが、その仕事が好きで好きでたまらない様子なんです。本当に感心しますよ。」

左遷されることは、いやなことです。けれども、いくらいやがっても現実には左遷されたのであって、その現実は変えようがありません。もっとも、うまくいけば、1年後に現実が変わるかもしれません。6ヶ月後に、1ヶ月後に現実が変わる可能性もあります。いや、あす、現実が変わるかもしれません。

しかし、きょうのいま、あなたが左遷されているという現実は変えようがないのです。そして、あなたはその現実を生きねばなりません。これは、病気に関しても同じです。あすにでも病気が治るかもしれないが、ともかくきょうのいまあなたは病人なんです。その現実は変えられません。そして、あなたはいつでも現実を生きねばならないのです。

ならば、その現実をしっかりと生きようではないか。禅はそのように教えています。それが《喫茶去》なんです。





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