信仰―法話コーナー


法話

■「心の時代」に向けて 2000.12.1

 このところ「心の時代」という言葉がよく使われます。物質文明が発達し、その物質を追い求める事により失った精神面での揖失は計りしれません。だから、心を大切にしたいということなのでしょう。しかし今、未来を担う子供たちの育つ周囲のすべては、心の豊かさを喪失させるようなことばかりです。幼稚園の頃からテレビゲーム・おもちゃ・お金で勉強させようとするなど、親がモノで子供をだますような事をしています。こうして育った子供達がやがて中学生になり、いよいよ高校受験の時期にさしかかります。医者・大企業サラリーマン・実業家と親の夢は果てがないようです。願書を出す時、担任の先生から内申書をかいてもらいます。この内申書のために、子供の人間性が評価され、将来を不安におとしめているのかと思うと哀しくなります。いまや、学校の先生が学力の劣っている生徒に向かって「塾に行け」とすすめているそうです。そのため、塾や予備校が教育の一環のように存在し、従来の学校教育はただ生徒を管理する、いってみれば監視役のような役目だけになってしまっているかのようです。「学力をつけるために塾に行って勉強しろ」というのは、自らの責任を転嫁しているようにも思えます。教育者が教育を放棄する。そうした社会に育った子供が教師を尊敬し、その言いつけを守る生徒になるはずがありません。こうした事に気づかないところにも問題があるのです。学校は生徒を管理するより、もっと教える事があるはずです。制服などなくてもいい、髪が長くてもいい、容姿ぐらいは自由にさせてもいいから、人間として生きていくうえで、きちんと教えるべき事があるはずです。しかし、そういう事をしないで、規則に違反した生徒を罰する事で教師の権力をちらつかせるばかりでは悲しくなります。そんな学校を卒業し、社会に出た若者はどうなるのでしょう。不良の烙印を押された者は、社会でも落伍者のような扱いを受け、まともな仕事につけないという恐れもあります。これが教育だというのですから、まったく困ったものです。当たり前の事を、当たり前の事として発言し当たり前の事が守れない者は、たとえ学校という小社会でも守れるよう教育するのが学校だと思います。なぜ、こういう事を言うのかといえば、子供の社会性は早々に幼稚園や小学校の教育で育まれてしまうからです。
 「心の時代」といい、それが喪失しているから、いま必要なのはこの回復だと思います。その基本となる教育に誰もがもっと関心を抱き、社会全体の必要性として考えていかなければなりません。



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