信仰―法話コーナー


法話

■心を耕す 2000.11.1

 先日、朝のNHKのテレビで農村の事を放送していました。その中で今頃は、田んぼを耕すのを機械を使ってする為か浅くなってしまって、稲の根の生育が良くないばかりか、田んぼの地力がどんどん低下して行き、生産が落ちてしまうだけでなく、日本中のあちらこちらの田んぼがダメになって行っているという話をしていました。

 この話を聞いていて現在の私達の心の問題もそれと同じ事だと思いました。近頃私達は、「忙しい、忙しい」とウロウロするだけで、ものを見るのもうわっつらだけになっておりはしませんでしょうか。私達はこれから、「心も深く耕しましょう」と呼びかけたいと思います。心を深く耕すとは、ものごとを深く見る心を持つという事です。耕すとはそう言う心になる様に気をつける努力をし、修養すると言う事です。一杯のご飯でも、ただ米と見るのではなく、大勢の人の努力のある事が分かる心が大切です。そうしたら米を食うのではなく、ご飯を頂くになります。「生きる為に食べる」や「食べる為に生きる」とか、よく言われる事ですが、これは誰でも生きる為に食べるのだと答えになると思います。

 ところが、食べる為には、食べ物を手に入れなければなりません。それには自分で作るかお金で買います。私達は、食べるだけでなく、衣、住も必要で、しかもそれもお金でまかないます。私達の生活でお金のしめる地位が大きくなって、食べる為にお金をもうけなければと必死になります。「生きる為にお金をもうける」のか、「お金をもうけるために生きる」のか、これもやはり生きる為にお金を設けると答えられると思います。しかし、そう答えながら日々している事は、後の方になりがちではないでしょうか。お金、お金と言っていますと、その考え方が家中に充満して、何時の間にか子ども達にもそんな考え方が身にしみ込んで、金もうけの為にはどんな事をしてもかまわないのだと思う人間を作りあげてしまいます。近頃のニュースに出るいまわしい事件はこうして生まれて来たものと思われます。何に中心を置くかで私達の生活が変わって来ます。一番大切な事を捨てて、次に大切な事に全力を打ち込んで一生を終わったと言う事にならない様にしたいものです。「おはようございます」とひとことでも、義理で機械的に言うのではなく、心をこめて言えば、相手の一日も、自分の一日もいい日になると知るのも深い心ではないでしょうか。そして、深い心になるが心を耕す事です。



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