信仰―法話コーナー


法話

■人間の生命は一つ 2000.8.1

 無辺とは無限、数限りがない、たくさんという意味で、また衆生とは生きているもの全ての者をさす。衆生無辺とは、この地球上に無限の生きものが住んでいるという意味になります。
 無辺の生き物が毎日毎日数多くの生命を誕生させていく。その数は限りがなく、その無限の生命であるところの衆生を救ってあげたい。これが仏さまの願いです。
 今、世界中で解明されている生き物の数は1,742,000種類といわれています。1,742,000種類あると言われている生き物の全てを、誰もが詳しく知っているわけではありません。もちろん学術的に解明されていない生き物の数はもっとたくさんあるわけで、その数を合わせると解明されているものの約10倍になるのではないかとも言われております。1,742,000の10倍といえば、およそ2,000万種類ほどのものが、この地球上に生きていることになります。私たち人類という種類はそのごく一部であり、それら全種類のうちの一種に過ぎないということを改めて知らなければなりません。
 今までいろいろな人が、神があり、人があり、自然があるということを説き、人間、また自然は神が造ったのであると説いてきました。これを人間の都合のいいように解釈すると、人間が自然を管理する。あるいは管理するべきなのだ。というふうにもとり得ます。例を挙げますと、日本各地に幾つもあった霊山などでは、山を登るときには白い着物を着て杖を持ち「慙愧懺悔・六根清浄」といって日頃の行いを懺悔し、煩悩の根本となる六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)が清浄になるように祈り、感謝しながら登ったのです。しかし今では白い着物を着て登る方も減り仲間どうしでワイワイ騒いだり、ふざけたり、煙草やごみを平気で捨てていったりします。これでは御山の尊厳を感じるのではなくレジャーを楽しんでいるだけです。多くの昔の方たちは霊山に畏れ敬い、また登らせて頂けることに感謝をしながら参拝していたのです。登山に関してだけではありません。人間以外の生命を奪って、それを食物にしたり、衣服にしたり、履物や道具にしたりしています。もし仮に自分が人間以外の生き物だったらどう思うでしょう。
 食卓に並べられる、食物のうちご飯をとってみれば、お米を食べれる状態にしてくれた方には感謝するものの、お米だって同じ衆生です。おかずにしても、大根や人参、牛や豚を代表とする肉や魚にしても同じです。
 私たちは動物や植物など数多くの生き物の生命に支えられて生きているのです。確かに目の前に並べられるまでに実にたくさんの人の手を経られていてその人たちに感謝することも大切ですが、それに加えてその犠牲となってくれているものにも感謝をしてみてはどうでしょうか。それは人間であるからこそ出来ることであり、衆生無辺の一種としての務め、また「供養をする」ということではないのでしょうか。
 皆様も仏さまと一緒に衆生を供養してみてはいかがですか。



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